原作は以前読んだ。細かいことは忘れたが面白かった記憶がある。
「ガリレオ」のドラマは半分くらい見たかな?それとも一応全部見ただろうか。
初回は良かったけれど、だんだん「はあ……」と言いたくなる出来のものが増え。
……最終回があまりにもヘタレであったのが衝撃的だった。
さて、映画ですが。
……ものすごく些細な事ながら、しょっぱなからつまづいてしまった。
暴力元夫から逃げている立場の女性が、自分の店を出す時に娘の名前を付けるかね?
元夫が見つけられる手がかりは少ない方がいいだろう。何故バレバレの名前をつける……
「やっぱり弁当屋をやってたのか」という台詞があったくらいだから、
最初から弁当屋という手がかりもあるのに。
もっと言えばわたしだったら店を出す場所は、東京以外の場所にする気がするが……
まあ商売には土地鑑も大事だし、簡単に別の土地というのは現実的じゃないかもしれないけどね。
その次につまづいたこと。
あんなに壁の薄いアパートでは、殺しに至る前に何とかなりそうなもんだが……
石神の他に住人はいないのか。あれだけ大きな物音を立てていたら、建物中に響くよ。
窓を開けたまま叫んでるんだし。近所の人が110番すると思うけどなあ。
その次につまづいたこと。
母子2人で暮らしているアパートで、台所のけっこう大きな窓になぜカーテンがない?
すりガラスだから、小さな窓ならわかる。が、あれはなかなか大きいよ。
外から見えることが絶対気になる大きさだと思う。
それに、廊下を歩く石神の姿が見えるわけでしょ。
それってうざったいんじゃないか。誰かが通るたびに気になるだろう。
夜は少なくとも、カーテンが必要だ。
その次につまづいたこと。
「数学はどこにいても出来る」
……トップレベルたらんとしている数学者がそんなこと言うかね?
わたしはここ1年くらい、数学者についての本を何冊か読んで来たが、
数学者が「考える」ためには、それはもう大変な集中が必要なはずだよ。
学校の先生をやりながらじゃ絶対無理。
言葉通りの意味じゃないという考え方はあるだろうが、それにしては演技が軽すぎる。
深読み出来る台詞の言い方ではなかった。
その次につまづいたこと。
学校の先生を出来る程度の社会性があるなら、客をほっといて証明問題に取り組むかねえ。
普通、証明問題の検証なんて、何週間も、下手すると何か月もかかる。
それを6時間で解くことで天才性を描いたつもりかもしれないが、全然伝わらない。
その次につまづいたこと。
湯川が石神の家に泊まった翌日、浜町公園で2人並んだシーン、
カット切り替えした後、位置関係逆になっているでしょー。おいおい。
……この辺で、もうあんまり真面目に見る気がなくなっていた。
まあ最後は可哀相で、やっぱり泣けるんだけどね。
(堤真一のラストの演技はもう少し別の方向があった気はする……)
しかし柴咲コウはずっぱり損な役回りになってしまったなあ。
なんだ、あのベタベタなキャラクターは。ドラマでも損だったけど、映画はもっとだよ。
この話では、柴咲コウはほんとに要らん役柄だったもんな。気の毒だ。
やっぱりドラマ由来の映画に期待するのは間違いってことかなー。
今年の終盤に「のだめカンタービレ」の映画をやるらしい。
レギュラーシーズン版は近年まれに見る良い出来のドラマだと思ったけど、
正月特番はがっかりだった。
それを考えると、映画も期待しない方がいいんだろうなー。テレビ放映を待とう……。
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