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◇ 阿川佐和子「スープ・オペラ」

タレント・エッセイストとしての阿川佐和子に対する印象は、良い。
テレビでちらちら見る時も、すっきりさっぱりな感じだし、エッセイは面白い。
「ああ言えばこう食う」なんか、ぶわっはっは、と笑わされたこと数度。
彼女が長く続けている(続けていた?)インタビューは、
ホステスとしての自然体の姿勢が、――馴れ馴れしさと図々しさとがまじりあうさっぱり感で、
実に適度なものになっている。
相手に合わせて対応を変えられる頭の良さも持っている気がするしね。

……が、そういう人だからこそ、小説はどうだろうなあ、と少々危ぶむ。
小説を書くにはさっぱりしすぎているのではないか。元々物を書こうという人は、
なんかもっとこう……湿度が高いというか、陰湿だというか?そんなイメージがある。
それでもまあ、エッセイとかノンフィクションならね。陰湿な部分をそれほど必要としない
気がするが……小説は、多かれ少なかれ内面のじめじめとしたところで
発酵して育ってくるものではないか?

もしかして、小説ではアガワサワコのじめじめした所が現れてくるんだろうか。
でもわたしは彼女のさっぱり感が好きなので、それは痛しかゆしだなあ。
そしたらむしろタレント・エッセイストの仕事のみを見ていた方がシアワセかも……

と、思っていたのが杞憂でした。

もうすっきりさっぱり!異常に風通しの良い小説だった。
毒にも薬にもならんというか、まったく後に残らないというか。
とても褒めているようには聞こえないだろうが。これは一応いい意味で。
読んでいる間愉しければ、それはそれでフィクションとしての価値はあるのではないかと。

わたしは日常小説(というのは流通している言葉なのか?)に
ほとんど興味がない。興味がないのでごくわずかしか読んだことはない。
日常小説というのはどんなんかというと、例えば本のオビの惹句として、
「恋に仕事に揺れ動く、等身大の女性の心を繊細に描いた表題作。他3編収録」とか
書かれそうな……あ、いかん。自分で書いといてすごい痒いわ。

林真理子とかなのかな。小池真理子とかもかな。村山由佳、唯川恵あたりはそんな気がする。
まあ、読んだことないのでわかんないんだけどね。
データのある1200冊分の読書記録の中から挙げると、
……えーと、かろうじて佐藤多佳子?でもこれはファンタジーかなー。
スリとか落語家とか女装の占い師とかが主人公では、日常小説とは言えまい。
島本理生の「ナラタージュ」はどうだろう。日常小説だろうか。
白石公子「ちいさな衝動」、瀬尾まいこの数作、宮本輝はそうか?
この辺が多分日常小説……。このうち佐藤多佳子と島本理生はおいといて、後の三者は嫌いでした。

でも、この「スープ・オペラ」は日常小説にしては珍しく好き。
――と、話を持って来ようとしたんだが。
無理か。この作品は日常小説というより佐藤多佳子と同じで、やっぱりファンタジーだもの。

トニーさんの存在がファンタジー。その他の人は、まあぎりぎり……
現代日本に存在しないこともないかもしれない可能性もある造型だけど、
それが一つ所に集まっちゃうのは、まあ有り得ないよなあ。

非常にほのぼのとしていて、気取りも衒いも感じられない。全然才っぽい部分がないかというと、
たまにちらっと出てくる。そして、居心地の悪さを感じる所がほぼない。
まさにテレビで見るアガワサワコそのまんま。いやー、こう来ますか。
読んでみればこれしかあり得ないかもしれなかったけど、ちょっと想像外でした。

小説として、あまりにも風通しが良すぎたのが信じられないので、
「ウメ子」も読んでみることにします。「スープ・オペラ」一作だけ読むつもりだったんだけどね。
「ウメ子」も同等のさっぱり感、低湿度を保っているのなら信じよう。(何を?)

スープ・オペラ
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「スープ・オペラ」のオペラはどういう意味でつけられたのか気になる。
オペラというのは歌劇という意味で使われることが一番多いだろうが、歌劇って感じしないし。
たしかオペラは、元々作品という意味だったと思うんだけど。
一番ありそうかな、と思っているのはホースオペラ、スペースオペラ、ソープオペラなどという
用法に習っての命名。まあそれも元々歌劇から来ているのかもしれない。

鶏がらスープを作ってみたくなった。
貧乏メニューにもちょっとだけ憧れがある。作って1週間食べ続けようとまでは思わないけど。

ちなみに「日常小説」について但し書きですが……
わたしは現代を舞台にした小説で自分がキライなものを、
適当に日常小説と呼んでしまっているのかもしれない。アヤシイな。

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