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◇ 源氏物語についての駄弁。(その1)

(多分相当に長くなります……。)

こないだちらっと、アニメ「源氏物語千年紀 Genji」というのを見た。

アホか!!

見たシーンが悪かったのだろうか。なんで濡れ場(?)にそこまで時間を割く必要がある?
日本映画史上燦然と輝く超駄作映画「千年の恋 ひかる源氏物語」の制作陣と同じくらい
アホウな奴がまだいたとは……。

※※※※※※※※※※※※

最近は疎遠になってしまったけれども。
わたしは基本的に源氏物語が好きなんだ。

自分語りになってしまうが(今さらですか)、出会いは中2の時だった。
いや、正確に言えば小学校5年か6年の時、子供向けの日本文学全集で一度読んだな。
しかし読んで「へ?」という感じ。特にラストが。
正確な文言は忘れたけれども、「薫の大将は浮舟のつれない仕打ちを恨みに思いました」
というような文章で終わっている。これで終わりかい!
わけわからんなあ、と思い、そのまま。

中学生の時は、帰り道はほとんどいつも本屋さんに寄っていた。
ある日ふと「源氏物語でも読んでみようか」と思った。源氏物語にも色々あるがどれにしよう。
円地、谷崎、与謝野。他にも何種類かありそうだけど……
ここで与謝野訳に決めた理由は、冊数だったか、金額だったか。もちろん内容もぱらぱら
めくったはずだけど、決めたのは非常に功利的な理由だった気がする。
他より短いと踏んだか。実際の値段を計算したか。
で、買って帰り。読んだ。

――これでハマッたんですよ。
制服も脱がないまま読みふけったのを覚えている。読みながら残りを物惜しく数え、
それでもちょっとずつ読むということは出来ずに上中下全3巻を多分1週間~10日ほどで読み、
終わらせることが出来ずに、数ページを読み残した。読み終わった時にはすっかり
源氏好みが出来上がっていた。

ま、読むのには多少苦労したよ。一番読みにくかった部分は呼び名だな。
「女君」「男君」「大将」「女王」……これは誰なのだ、しょっちゅうわからなくなる。
そのシーンではその呼び名でも、少しページが進むと別の呼ばれ方をする。
あまつさえ、別な人が今度は大将と呼ばれてるやないか!

ずいぶん簡単になってはいるらしいんだけど、さすがに古文由来のうねうねとした文章、
読点も少ないし句点はもっと少ない。びっしり埋められた文字は見た感じ手ごわい。
見た感じより実際に読むとそうでもないのだが……
後で聞けば与謝野訳は相当意訳らしい。本文に説明部分もちょこちょこある。
そういう点に批判もあるようだ。が、間違いなく面白かった。

その後「あさきゆめみし」を読み。田辺訳を読み。という順番だったと思う。
(実はサイデンステッカーの英訳も持っている。……読んでないけど)
関連本は20冊近く持っているし、読んだ本はそこそこ多い。あまり学術的なものはないけどね。
原文は読んでいない。原文で読むことにあまり意味を感じない。
勉強をしようという気はないしね。おそらく今後も読まないだろう。

中3の春休みに京都へ行ったんだ。野々宮神社にはわくわくして行った。
「源氏物語」だけが目当てだったわけではないが――むしろ比重は歴史と神社仏閣の方が高い――
その時の経験から旅好きも始まっていると言えるのだから、
「源氏物語」がわたしの人生で果たした役割はかなり大きいと言わざるを得ない。

以上のような経緯で。多大な思い入れがあるんだ!
だから変なもんを作って欲しくない。変なもんを見せられると怒りまくる。

※※※※※※※※※※※※

「千年の恋」はとにかく怒髪天を衝く、という出来でしたな。
キャスティングを見ただけで失敗作になることはわかりきっていたから、
映画館には見に行かなかった。が、やはり源氏好きとしては気にはなっていたので、
テレビ放映された時は一応録画した。
それを見て。

……………………。
ブチッ。(←力いっぱい再生停止ボタンを押す音。血管が切れる音かもしれない。)

ア・ホ・か!!

一体何をどうやれば!!あんな映画を作れるのだッ!!(絶叫)
天海祐希が源氏なのは許容範囲。他に許容出来るものは何一つなかった気がする。
許容出来ないものがこれでもか!と続くので、苦痛のあまり再生停止したんだから。

まず何よりも、紫式部を登場させちゃ駄目だろう!
それは「源氏物語」ではない。ナニコレ?と言いたくなる話の作り……。

おっさんたちよ、吉永小百合ありきなら、題材を源氏物語にするのは間違ってる!!
源氏物語でたっぷり出てくるのは源氏だけなんだからさ。吉永小百合を源氏にするわけにはいくまい。
紫の上あたりなら、登場シーンを多くして、何とか主役に据えることが
出来るかもしれないが……吉永小百合の年齢がすでに無理。
わたしは吉永小百合は嫌いではないが、ここまでゴリ押しされると始末が悪いと思うぞ。
ある意味ジャニーズと同様のゴリ押し感。
役者は作品にはまってなんぼ。役者のために作品があるようでは、その作品は駄作なのだ。

キャスティングも……
いやー、紫の上が常盤貴子ってのはないよ。
高島礼子はどう考えても六条御息所っぽいが……竹下景子は違うんじゃないか。
明石の上が細川ふみえは全然ダメでしょう。葵の上の中山忍も全然違うだろう。
朧月夜の南野陽子はまあまあかもしれない。むしろ常盤貴子の方が合うと思うけどね。
で、全然許せないのが松田聖子、と。

……なぜ歌わせる?正直言ってスタッフは正気なのか?と思った。
一体何を考えているのか、説明してみろ。

何で大金をかけてあんな映画になってしまうんだ。
同じ金をかけるなら、他にいくらだってまともなやりようがあるだろう!
何を好き好んで駄作への道をまっさかさまに落ちていくのか。

制作陣は一度でも、与謝野・谷崎・円地・瀬戸内・田辺訳を読んだのか?
このあたりを読んで、あの脚本になることは有り得ない。
脚本家は、せめて「あさきゆめみし」を熟読するくらいはしたのか?

――よく考えると、大和和紀の「あさきゆめみし」は相当良く出来てた部類だよなー。
少なくとも道を間違っていない。時々、登場人物の顔が違う……と思ったことはあったけど、
何十人も出てくる女性を、しかもみんな十二単で髪が長くて、座っているだけだから体型で
描き分けも出来ない、顔しかない、という過酷な条件でよく描いたよ。
(そもそも源氏物語をアニメ化するなら、「あさきゆめみし」のアニメ化であるべきではないのか)

わたしは、「千年の恋」はそーゆー(正気じゃない)人々が作った
特殊な映画だと思っていたんだよ。
でも今回の「Genji」を瞬間的に見ると、傾向が「千年の恋」を踏襲しているようで……
いや、ちょっと待て。違うから!そうじゃないから!この話が言っていることは!

そう言おうとして考えた。ではこの話が語っていることは何なのか。
何が一番大事なのか。

(その2へ続く)

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