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◇ 帚木蓬生「三たびの海峡」

むかむかする。
この人はこの作品でわたしの評価を相当に下げた。もう読みたくない。
もう読まない。

「薔薇窓」の感想でも書いたんだけど、この人は着地が安易すぎる。
特に今作のようなシビアなテーマを描くのなら、……この安易な収束は一体なんなの。
単なるエンタメならまだいい。でも、こういうテーマならばエンタメではないんでしょう?
見返し部分の紹介文に「本作は『日本人が書いておくべき義務がある』物語として構想された」
とあるくらいなんだから。心からの。――謝罪とか自己告発といって語弊があるなら、
心からの「記録」であるべきだ。フィクションではあってもね。
デリケートな問題だけに、ノンフィクションを書くように真摯に、
テーマと向き合わなければならなかった。それなのに。

前半はいいんだよ。
強制連行されてきた人がどんな生活を強いられていたか、というのはちゃんと書いてると思う。
作品の中で描かれた状況がどのくらい普遍的かを判断する材料はわたしにはないが、
「有り得た」話だと思う。実際の現場を知っている人からすれば、
――もう少し良い状況もあったろう
――もう少し酷い状況もあったろう
そういう意味では「この通りだった」と同意する人はそれほど多くを占めないかもしれないけど。

が、この作者の主人公の甘やかしには非常に腹が立つ。
「国銅」とか「聖灰の暗号」とかならね。美男でモテて善人で、と主人公を理想化して書こうが
苦笑いで済むよ。苦笑はしても、別にかまわない。
しかしこの作品では、主人公の描かれ方があまりにも善人すぎて。
人殺しで。故国で成功をおさめた後でも、あんな風に引き裂かれた妻を探そうともしなかった奴で。
そんな奴を身びいきに描かれても。

ボタ山の悲惨な状況はこれでもかと克明に書くのに、
自分の罪、自分の非にはほとんど触れない。
正面から、広田を殺したこと、千鶴を捨てたことをじっくり見つめて表白した部分はあるか。
「辛かった」「恐ろしかった」「胸が痛んだ」――都合の悪いことはみな、そんな程度で
終わらせやがって。「薔薇窓」でもそうだった。なんでそう主人公を甘やかす。
主人公は良心の呵責にもっと苦しめ。
山本候補者を告発する前に、まず自分の殺人の罪を認めてからにしろ。

一番腹だたしいのは、悪人は戦後何十年経っても憎むべき悪人でしかないこと。
全く成長も、人格の変化もしていない状態で描かれる。人間は変わるものなのに。
こんなにも単純すぎる話を、
「日本人が書いておくべき義務がある物語」だと本当に胸を張って言えるのか?

戦争という極限状況。小さなコミュニティの中で絶大な権力を持ってしまった少数の人間。
この部分を紙芝居のように薄っぺらくして、こんなテーマを書く意味があるのか。
「悪人」とされていた人物にだって葛藤や罪の意識、善へと向かいたい心があったはずなんだよ。
多分実際には罪の意識により自殺した人や、生き方を大いに変えた人だっていたはずだと思う。
少なくともこの長い年月、何かを考えながら、感じながら生きてきたはずなんだ。
だから、良くも悪くもその年月の経過がなければおかしい。
だが、山本や青木の人生、その部分が全く感じられない。

悪人が100%悪人というのは有り得ない。「人間」なんだから。
善でも悪でもある存在なんだから。
が、この作品では「悪人」はただひたすら呪われるべき存在で、全員復讐されて消えていくしかない。
そんなはずはないだろう。「そして因果応報、悪は滅びました」で目出度しだっていうのか。
(ご丁寧にラスト、ヒロイックな仇討ちまで添えて!)

こんなテーマならば「人間」を深く掘り下げなければ意味がないのに。
そこをこんな風に片手落ちに書くなら、書かない方がいいくらい。腹だたしい。
非常にむかむかした本であった。

宮部みゆきとは逆に、数冊目にして地雷を踏んでしまったなあ。
いやー、わりと好感触だった作家が1作でこれほど転落してしまうのも珍しい。
やっぱりね。物を書くのは綱渡りに似ているよ。
バランスを崩せば、奈落の底までまっさかさま。

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