PR

◇ 米原万里「不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か」

彼女にあまり馴染みはなかったけれど、訃報を聞いた時は「惜しい人を」と残念に思った。
ラジオとかテレビでちらっと視聴したおりの、パワフルで楽しげなイメージが残っているから。
本作品が初米原。

「面白いことをスピーディにぽろぽろ書き飛ばすエッセイ」と思っていたので、
実際に読んで、その密度が意外。
通訳という仕事についてけっこうな言葉数を費やしてじっくり述べている。
これが初著作なんだろうな。1冊目にふさわしい密度だ。

ちなみにタイトルは、通訳界では有名な言葉らしく……
つまり「相当に意訳だけれども移された言語においてはこなれた文章か、
あるいはゴツゴツした文章だけれども意味は原語に忠実か」という意味らしい。
なるほど。

通訳という仕事。わかっているつもりでいたけど、実は全然でしたな。
そうねー、やっぱりA=Bとは簡単に入れ替え出来ないものね。
文脈でけっこうわかるのだろうという予想は外れた。もちろん文脈は大いなる命綱だが、
時々突拍子もないこと(例え話から、とか)から始めるスピーチがないわけじゃない。
話し手の性格や興味の方向などがわかっていればまた別だが、
ほとんど見ず知らずの他人が「言いそう」なことなど、見当がつきませんよ。

それに、やはり専門知識は必要らしい……。
専門用語は必要だろうな、という漠然とした認識はあったけど、
例えば原子力関係の会議の時などは、むしろ日本側からして知らない単語が出てくる。
会議のテーマは「コウソクロアクチブゾーンのモニタリングの方法について」。
高速増殖炉炉心のことなんだって。耳で聞いただけではわからないし、
字がわかったとしても、それが「何」なのかわからないままでは訳せないでしょう。
だから、下調べがとても大事になる。

しかもテーマは会議によってナンデモアリ。
わたしはもう少し分野によって細分化されているのかと思ったが、英語くらいならしらず、
ロシア語だと細分化出来るほど通訳者の絶対数がないのかもしれない。
結果、どんな分野でも引き受けなければならなくて、下準備に追われる。

それから、話し手に対する不満。
アンタ喧嘩売ってんのかい!というほど通訳しにくい(原稿を超高速で読み上げるなど)人や、
通訳しても内容がアホすぎて(あるいはなさすぎて)聞き手のお客さんから
「ほんとにちゃんとした通訳してんの?」という目で(通訳が)見られてしまう話し手とか。
アホな内容でさえ訳さないわけにはいかないというのはストレスだろうなあ。
もちろん通訳自身にも不出来はいるので、第三者として聞いていると、
恐ろしくなってくる通訳とか。

……というようなことを、見てきたように味わわせてくれる本だった。
通訳の凄惨な心理状態は涙なしには読めない。と、同時に笑いなしには読めない。
一冊中、内容に重複する部分もないでもないんだけど、楽しく読めた。

この本はまず、通訳になりたい人に読んで欲しい。通訳志望の高校生・大学生は必読。
もちろんそうでない人も楽しく読めます。一般人が読むにはもう少し内容薄めでもいいかと思うが。
今後、米原万里を何冊か読んでみる。書くに従って、軽く楽しいものになっていくのでは
ないかと予想。結構な冊数書いているしね。

不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か (新潮文庫)
米原 万里
新潮社

このアイテムの詳細を見る

コメント