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◇ 藤森照信「家をつくることは快楽である」

面白かった。

だがどこがどう面白かったか、かっちり言及する気にはなれない。
なぜなら、この本自体「とりあえず未収録のものをあちこちから集めて一冊にしたよ」
というようなとりとめない本だから。

しかしそのとりとめなさがなかなかいい味を出している。
というよりも、文章それぞれがやっぱり面白いんだろうな。
特に、自分について語った第1部。系統立ってないからこその気楽な面白さがある。
ここには、ニラハウスについての赤瀬川原平との対談も含まれていて、
これなんかすごく楽しい。にやにやしながら読んだ。

いつも思うが、藤森さんと赤瀬川さんは、実は水と油だろうなー。
お互いに違う生物だと感じてそう。
赤瀬川さんのエッセイもあって、その中で彼は「建築家が動物だとすると施主というのは
植物的な立場のもので」と書いているが、それは違うよ。
単に、藤森さんが動物的で、赤瀬川さんが植物的だというのが正解。
建築家、施主という立場全てに敷衍出来るものではないと思いますね。

水と油だからといって、仲が悪いのとイコールではないけれど、
しかし二人でいるとしっくりこないということはあるんじゃないかと思う。
あまりにも違いすぎる。お互い興味深く思いはしても、彼らの間に共感はうまれにくいんじゃないか。
そこを、南伸坊と松田哲夫あたりが中和しているんですね、きっと。
で、林丈二あたりも実は地味に突出していて、それもやはり南・松田がくっつけている、と。
特に根拠はないけれど、わたしとしてはそんなイメージ。

しかしなー。
わたしは藤森さん好きだけど、彼お得意の見切り発車の設計はものすごくイヤだぞ。
こないだのシンポジウムでも言っていたし、この本の内容でもそうだけど、
やりながら考えるって言っている。いやそりゃ、机上の論理と実際に齟齬が出てくるのは
当然だから、やりながら考える部分はゼロにはならないだろうけど、でも程度問題だよ。
ニラハウスで給水システムとかメンテナンスの部分が決まらなかったら
作り始めちゃダメだろう、と思うよ。

彼らは建築を表現の手段としてしか考えてないようだけど、使う人がいるってこと、
考えているのかなあ。いや、何度も繰り返し言っているように、住宅とかなら、
住む人が良ければそれでいいんだ。それが正解なんだ。
 
が、公共建築物を単に表現でやらないでほしい。税金を使って勝手するな。
わかっているか、原広司。(どうしてもわたしのオチはここに来る。)

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