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< おせん > (ドラマ視聴)

原作を読んでいたので、ドラマ化は素直に嬉しかったのだが……
(原作者も懐が潤って嬉しかろうと思っていたのだが……)
ドラマは原作とは別もんになるだろうというのも承知してはいたのだが……
あきまへんわ。あれでは。

1話目と2話目の半分見て、愛想尽きた。
原作好きだからこそ、粗が目について。なんでこんな脚本になっているのだろう?
普通に作れば、名作とは言わないまでも(原作も名作というわけではないのだし)、
もっと普通に楽しめる話になるはずだと思うのに。
例えて言えば、カレーを作るに際して、ジャガイモもニンジンも玉ねぎも肉も、
簡単にその辺で手に入るだろうに、なんでわざわざウィンナーとちくわとキャベツで作る?
というような。そんな違和感。

演出も間違いなく悪いだろうが、これは脚本の罪も大きいと思うよ。
原作マンガを一回読んで、その登場人物とエピソードだけを何となく使って、
適当に書いてみました~って感じだよね。「何となく」とか「適当」とか「やっつけ」とか、
そういう言葉しか浮かばない。
大石静。脚本家としてはよく聞く名前だが、いい脚本家なのかね?
せめて、原作を10回くらいは読んで欲しいよなあ。せめて、原作を好きになって書いて欲しい。
多分彼女はこのマンガ好きじゃないと思う。仕事だから仕方なく、で気の毒な面はあるんだろうけど。

原作つきの場合、脚本家を公募……とまではいかなくても、コンペ形式で決めることは
出来ないものか。書き手に思い入れがなければ、その魅力を伝えることは不可能なんだからさ。
「ロードオブザリング」が不可能とも言えるほどの困難にも関わらず成功したのも、
何よりピーター・ジャクソンが有り得ないほどの執念を持って創作したからだよ。
たかがワンクールドラマに彼並みの執念を要求するつもりはないが、最低限の愛着は必要でしょ。

キャストもなあ……。
蒼井優は演出によってはぎりぎり何とかなったはずだと思う。
まあ、本来であればもっと妙な迫力のある存在でなければならないが、
二次元の人物を実写で演じるには限界もあるしね。
が、色々スゴイ人だっていう前提があってこそ、あの天然ボケが活きるのだが、今は天然ボケだけ。
「おいしくなーれ」が可愛いだけじゃダメなんだよ、演出家。

キャスティングが最も失敗しているのが珍品堂。
渡辺いっけいは嫌いじゃないけど、どっちかいうと微妙に軽妙なノリが持ち味でしょ。
本来の底知れぬ迫力を秘めたキャラクターとは似ても似つかない。
その底力のある珍品堂が一目置くおせんだからこそ、おせんのすごさも伝わるはずだが、
今の珍品堂は単に勿体ぶった酒飲みオヤジで、一目置く部分も台詞でしか語られないため、全く無意味。
実は杉本哲太の方が珍品堂向きだったと思います。極道風味の迫力あるし。
体細すぎるけど、そこは和服に詰め物いっぱいすれば問題無し。

グリコは……。
原作より軽くなっているのは大目に見るとしても、まったくのバカってのはどうなの。
原作は少なくとも真摯に物事を受け止め、それによってわずかずつ成長していくのに
(それがこの話の肝のはずなのに!)2話の半ばまで洞察力の全くないバカのまま。
「大豆には可哀想とか言うのに俺は可哀想じゃねえのかよ!」
この台詞で視聴中止を決定し、スイッチを切りました。

自分だけが苦労しているわけじゃなく、おせんさんも同じように冷たい水に手をひたしているわけで、
大根の面取りだって、今までみんながそのようにやって来たのは知ってるはずなのに。
自分だけで全部大豆のよりわけをして徹夜続きとか、たった一人で味噌作りをやれとかなら
キレるのもわかるが、あれしきのことでキレる人物はバカとしか思えない。
グリコは本来、無知なだけで(しかも現代の若者相応の無知)、別にバカじゃないんだよ。

由紀さおりが勿体ないよなー……。
あれは明確に白洲正子なんだからさ、由紀さおりなら、ぴったりとは言えないまでも、
それらしく雰囲気を作ることは出来たはず。

つまり、キャスト・役作りは全てにわたって、決定的に「迫力」が足りない。

ないないづくしですな。
脚本家には熱意がない。
キャストには迫力がない。
話には骨格がない。

これでは無理でしょ。作り手が何をしたいのかさっぱりわからないよ。
まあ、ワンクールを埋めればいいや、だけしか考えてないんだろうけどさ。
しかしもう少し何とかなったばずなのに、勿体ないねえ。

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