いや、びっくりした。
普通、芸能人が書いた小説なんて、片手間のものだと思うじゃないですか。
(それとも、そういう偏見を抱くのはわたしの性格が悪いからか?)
今回読んでびっくり。かなりちゃんとした小説だった。プロだった。
さだまさし。作詞もする人だから、エッセイはそれほど驚かない。エッセイをうまく書ける人なら、
自伝的小説1本もそれほど驚かない。「人間は生涯に1本は小説が書ける」という言葉もある。
ここまでなら別に驚かないのだ。
「解夏」は文庫500ページ弱の本で、その中に中編4本が入っている。
これが、材料としてかなりバラエティに富んでいる。それぞれの主人公は単純に言うと、
「失明寸前の男」「フィリピンから嫁に来た女」「再会に迷う男」「痴呆の父を持つ男」、
職業はそれぞれ、元教師・専業主婦・構成作家・エリートサラリーマン。
材料の集め方とそのさばき方に感心した。
さだまさしは失明の恐怖にさらされたこともないだろうし、当然外国人の嫁になったこともなく、
……よく知らないけど、ふるさとがダムの底に沈んだことも、痴呆の症状を呈すお父さんの世話を
したこともない。(多分ないと思う。ないんじゃないかな。……ま、ちょっとそういうことにしておけ。)
モチーフも多い。仏教用語の解夏、フィリピン女性の日本暮らし、養蜂、構成作家生活、痴呆初期症状。
それぞれ掘り下げ方は深くないが、少なくとも形になるくらいにはそれらしく書いている。
ここに感心するのは偏見なのかとも思うが。
音楽なんかをやっている人って、――わかりやすくそして少々失礼な言い方をすれば、
「専門バカ」というイメージがある。そういう人がフィリピン人のお嫁さんや
ダムに沈んだ村を書こうとした、その目の向け方が意外だった。引出の多さを感じた。
文章も過不足なく。
妙にりきんでもいないし、細かいところも適度に書き込んでいる。ちょうどいいと感じる。
改行が多い文章は、わたしは基本的にあまり好きじゃないんだけれど、この点は全く気にならなかった。
上手く要素を繋げ、めりはりも適度、上手く話を作っている。
静かな詩情。優しい余韻。
ここまで書けたらえらいなー。
わたしは今ぱっとは思い浮かばないんだけど、二足のわらじ的に発表された小説で、
他にここまで出来ているものがあるんだろうか。
(「陰日向に咲く」は評価が高いらしい。これはけっこうちゃんとした小説なのかもしれない、
というニオイを感じている。思いつくのはそのくらいか。)
何しろこういう内容を書くなら、多少なりとも取材をしなければならないだろうしね。
本業である音楽活動があるのに、なおかつそれをしたのだろうから、その部分をまずえらいと思う。
そこらのテキトーな芸能人本だと思っていてゴメンナサイ。
……が、wikiを参照した所。
最初の小説「精霊流し」は、企画として幻冬舎社長の指導のもと書かれたものだと書いてあった。
うーん。専門家がついていたのか……。そうなると――今までの話はちょっと褒めすぎになるかな?
「解夏」も幻冬舎だし、どの程度の指導だったのかという話になる。モチーフの知識部分が
“指導”によるものだとしたら、あまり手放しでエライ!とも言えないなあ。
まあ醸し出されている詩情は、まちがいなくさだまさしのテガラだろうけど。
あんまりね。そういう部分でアレコレいうのも不純なんだけれどね。
読んで気持ち良かった、きれいでいい話だった、そんな時間を持てて良かった。
素直にそう言うべきなのかもしれない。
ま、ごちゃごちゃ言いたいのは性格ですから、何とも……
ところで、さだまさしのwikiはものすごく力が入っていて笑えた。微笑ましい。
愛を感じるなあ。ファンが一所懸命書いたんだろうなあ。
読んで面白いので、興味のある方はどうぞ。
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