うーん、うーん、うーん、……なんといえば良いやら。
堤真一、椎名桔平、阿部寛というキャスティングにつられて見に行ったわけだから、
その3人が見られればよしとすべきなのかもしれないけどね。
いや、こう書くとそれだけの話だと思われちゃうな。うーん、「作る」という方向においては、
この作品はけっこうがんばっている。成功しているかどうかはまた別の話だが。
苦笑した部分はあるけれど、努力も感じた。なので、一応それなりに評価はしたいが……
だが、一般視聴者を相手にするにはかなり無理があるよなあ。
おそらく原作も相当込み入りまくった話だろうし、原作通りは無理がある。
だからといって、前半のあのジェットコースターぶりは……
「なんとなくわかればいいや」と思って見ていたから、別に腹は立たなかったけど。
しかし困惑したのは「なぜ中国?」ということ。
実は京極堂シリーズって、舞台は満州国なのか?いやいや、戦後のはずだしな。
川も民家も街並みも、どーみたって中国でしかありえないやん!
まさかこれで50年前の東京というつもりかね?そりゃ無理だろう。
――ということを考えていたので、話のジェットコースターぶりとあいまって、
前半は非常に居心地が悪かった。
「映画として」の部分は、実はなかなか良かった気もする。
役者たちとか、役者の見せ方とか、画面の撮り方とか。ちゃんと工夫して作っている。
個性的な喋り方を作り上げ、うまく統合している。その要求に応えられる役者たちだったし。
(とはいえ、男三人衆の喋り方がかなり似通っていたので、3人の台詞が続く所は、
誰が喋っている台詞かわかりづらかった。)
が、「話」としてはなあ……。
監督が原作に思い入れないことが敗因か。素材としてしか捉えてないから、おそらく原作の
肝であるべき雰囲気を写せてないのでは。わたしは原作を読んではいないけど。
ストーリーとしては思いっきり乱歩。乱歩+蘊蓄、というべき原作ではないかと予想する。
もしそうだとすれば、映画はずいぶん健全でしたな。健全……とは違うか。
とにかく、乱歩的じっとり感はほとんどなかった。……コワイの苦手なわたしとしては、
乱歩的じっとり感をやられた日には耐えられなかったと思うけど。
だから、個人的にはあの程度でもいい。でも本来はもっとおどろおどろしく
持って行くべき話なんだろうな。特に思ったのが新興宗教部分。
実に普通だ。あれ、もう少し極端に物々しくやらないと、信者がつかない気がするが……
役者はみんなOK。個別に言うと長くなるからもうみんな一括でOK。
やはりまともな役者はいい。
結局、見て損はしないかな。
面白い!とも言えないけれど、役者を見ている分で1000円の価値はある。
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ところで、パンフレットに京極堂……もとい、京極夏彦が文章を寄せている。
ええっ?京極夏彦ってこんな外見だっけ?
以前NHKで見た時は、アート系くずれの薹のたったお兄さん、という感じだったと思ったが。
この写真では、2時間サスペンスの犯人役か被害者役で出てくる、華道の家元って雰囲気だぞ。
……いや、外見は別にいいんだけど。書いてある文章で気になったところをちょこっと。
面白くない本はないというのが一貫した僕の主張なんですが、面白くない映画もないと
思うんですね。小説は一人で書きますが、本になるまでには何人もの手がかかる。
その全員が「面白くない」と思ったら、いくら作者が面白いといっても本は出ないわけです。
(中略)つまり、本になっている以上は、何人かが面白がったわけですね。読んで面白くないと
思ったなら、読んだ自分の感性や理解力が劣っているから面白がれなかったんだと
僕は思ってしまう。
えーえーえーえー。いやいや、ないよ、それは。
じゃあ、京極夏彦はアレとかアレとかアレとかアレも、面白いって言えちゃうの?
ってか、面白いといえる感性の方に問題がある作品ってけっこうありそうな気がするが……
ま、京極夏彦が言っていることは、話をものすごく単純に割り切った上での理念だと思うから、
こっちとしてもオオマジメに責める気はないけどね。わたしも単純化した理念は好きだ。
たとえば、世界は平和であるべきだ、とか。
原理原則を唱えている分には、考えても仕方ないことを考えずともすむし。
こういう思考停止がダラクのハジマリですけどね。
でもさー、やっぱりダメなもんはダメって言いたいよ。むしろ言わなきゃと思うよ。
ダメというのがあまりに傲慢だというなら、少なくてもキライはちゃんと言わないと。
キライを言わなきゃ、本来はスキも言えないもんだと思うよ。
処世術として、キライを口に出すことはしない、という道があってもいいけど、
あらゆる作品に対して「この作品が面白くないのは、自分の感性が未熟だからに違いない」と
受け手が過剰に謙虚になっていたら、そこから生まれるものはクズばっかりになってしまうだろう。
100のうち1しか面白くなかった作品を面白いと表現してなんとしよう。
1の面白さを認める姿勢は大切だけど、その1ゆえに全部を肯定する必要はない。
上記の京極夏彦の意見は、客観的判断に基づいているように見せて、
実は他者に価値判断を預けているに過ぎないもの。
それは、「ベストセラーだから面白い」「これだけの人が面白いと言っているから面白い」
と全く同じ意味しか持たない。違う。大事なのは自分がどう思うかということ。
誤解されると困るが、自分の判断が絶対的に正しいと主張しているわけではない。
感性と理解力の有無は厳然としてあるしね。が、たとえ貧しい感性しか持ってないとしても、
その感性の範囲でクズをクズと判断するリスクを犯さなければ、いつまでたっても感性なんて育たん。
わたしはそう思う。
くすっと笑った部分。
小説なんて字しか書いてないですからね、そこから何を汲むかは読者次第で、
書き手がどうこういうのは筋違いです。映画の場合は監督の意向が絶対です。
原作者が出る幕なんかないし、出ちゃいかんというのが僕の信条です。
原田監督の「読み方」は、小説「魍魎の匣」の「読み方」としては何十万分の一に
過ぎないわけですけど、映画「魍魎の匣」においては100%正しいわけです。
この、「何十万分の一」の部分に……。映画をフォローしつつ、監督の読みはまだまだ浅いと
主張せずにはいられなかったのか、京極夏彦よ。
何十分の一じゃなくて、万がついているところに京極の切なさが……。
いや、それとも何十万分の一通りの読み方のうちの一つと言いたかったのかな?
そうそう、と思った部分。
小説は小説でしか伝わらないものを書いてなきゃいかんわけで、
そうそう。小説は小説でしか伝わらないもの、マンガはマンガでしか描けないもの、
ドラマはドラマ、映画は映画。そこらへんの矜持はきちんとしようよ。
つまり、……マンガ→ドラマ→映画のオートメーション化はいい加減にしなさい。
ところで、このパンフレットはえらく厚かった。
ノンブル振ってないのでよくわからないけど、140ページくらいかな。
パンフレットなんて、普通、映画を見終わって帰宅した後、10分くらいでさくさくっと
眺めて終わりなものなんだけど、これは読んでも読んでも終わらないっ。
まあいいですけど。
あ、そうそう。
エンドクレジットに「世話人 明石散人」と書いてあって笑った。
たしか京極夏彦は明石散人に私淑しているんでしたっけ。
それにしても……なんなの、世話人。
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