縁あって、昔からケルト美術関係の本は読む機会が多かった。
高校生の頃は、「デザイン」が何なのかすらよくわかっていないんだけど、
あの濃密に描きこまれた文様には強い印象を持っていた。
美しさではなく。ケルト美術は、何よりもまずその異様さで目をひく。
本で見ているとその異様さが増幅される気がする。
なんと言うか……本は骨の部分しか再現出来ない。絵にしろ写真にしろ、二次元でしかないわけで、
やはり三次元のものを二次元で表すにあたっては大事なものが抜け落ちる。
それはきっと肉付きの部分。骨も大事な要素ではあるけど、骨だけで人体とは言えないように、
本だけではわからない。
ケルト美術の品々を実際に見てそう思った。
最初に見たのはケルト写本の最高峰、ケルズの書なんだけれど、実物の質感は本ではわからなかったね。
表面の質感が非常に意外。羊皮紙(実は仔牛)とはわかっていても、ついつい紙の質感で想像していたが、
色の部分に素朴なつるつる感があって、子どもが懸命に塗ったぬり絵を連想させる。
そう。ひたむきで素朴だった、ケルズの書は。
トリニティ・カレッジの特別展示室、照明を落とされた部屋。
ガラスケースに収まったケルズの書に、みなのしかかるようにして見入る。
とても混んでいる。……アイルランドの至宝といっていい物だからしょうがないけど、
もっと空いた所でゆっくりと見たかったなあ。
※※※※※※※※※※※※
アイルランド国立博物館は小さい。
大英博物館あたりと比べてはいけないけれど、他のヨーロッパ諸国の首都にあるミュージアムと比較してもなお。
その国が西洋史の中でどこまでの力を持っていたかというのは、
ミュージアムと大聖堂の大きさを見ればだいたいわかる。
わたしの予想よりダブリンという街の規模は大きく、人も多かったけれど、
国立博物館、クライストチャーチのこじんまりとした感じは、アイルランドの歴史的な国力を物語る。
そもそもケルト民族は、一時は西ヨーロッパ全域に展開したほどポピュラーな存在だったらしい。
が、どうも民族結合の道は彼らには無縁だったらしく、だんだんと西へ西へと追いやられ……
ヨーロッパの西の端、アイルランドに彼らの足跡は色濃い。
風のように放浪し、消えて行った民族と思えば、それもまた浪漫を感じる要因ではある。
ケルト、という時その輪郭は明確には見えて来ない。遠ざかる後姿しか。
ケルト美術は、明確な輪郭を持たない彼らが、唯一確かな物として残した形見だ。
ここは、やはりタラ・ブローチが。
この造型が本当に不思議だ。ケルト美術といった場合まず第一に出て来る、
ぎっしり詰まった渦巻き文様は脇に置いておくとしても、全体のデザインが異質。
機械を模したような精確さがある。何かの部品のようだと感じませんか。
一般的に対称性とか、統一性とかを基本にしてデザインするものではないかと思うのだが……。
そうでない場合は、もっと絵画的表現に傾きそうな気もするのだが……。
絵画的表現は欠片もなく、しかし統一性という方向でも微妙。やっぱり異質だ。
あとは定番ですが、渦巻き文様の精妙さは並ではない。
大ぶりの銀皿の縁飾りの細かさと言ったら!なんというのか、顕微鏡的世界を感じさせる。
一つ間違ったら、どこかのトンデモ屋さんが、「ケルト人ははるかな過去、すでに顕微鏡を
発明していた!」とか、本でも書きそうな……。そのくらいあの渦巻き文様はフラクタル的。
なぜだ。
何を考えて、何を求めて、どんな精神に基づいてあの渦巻き文様をひたすら刻んでいったのか、
鶴岡真弓さん、教えて下さい。(彼女の本のどこかにはこういったことについての言及は
ある気がするけどね。漫然と読んでいるので、いざという時答えが出てこない。)
※※※※※※※※※※※※
ケルト十字は目に親しい感じがする。普通の、一般的な十字架は、あまりに屹立しすぎていて厳しく、
馴染める感じがしない。十字架は、そのままキリストの犠牲をダイレクトに表す処刑台だから。
一方ケルト十字は、十字架に円と紐文様を組み合わせることで処刑台の厳しさは薄れ、人間らしくなる。
どことなく擬人化がされるということかもしれない。
グレンダロッホの初期キリスト教遺跡群のそばに墓地があるのだけれど、その墓石には
1900年前後没のものが多かった。最近のアイルランドでどういう種類の墓が主流か知らないが、
まだケルト十字の流れは途絶えていないのだと思った。
教会の中にもケルト装飾があるのを見て、わかるようなわからんような気分になった。
ケルト人古来の信仰はドルイドを中心にした自然崇拝……(という言い方で良いと思うが、)
アイルランドのキリスト教は、その土着の信仰との融合だというのは知識として知ってはいる。
が、絶対神信仰と自然崇拝というのがどうやって結びつくのかと……。
ま、日本でもまさに神仏習合があったわけで、そう言う意味では実例が目の前にあるわけだけど、
仏教の融通性とキリスト教の厳しさを比べた場合、同じ例とみなしていいものかどうか。
それに、現在神道と仏教が融合したままかというとそうでもないわけだし。
ドルイドとキリスト教。どのように結びついているのか。ケルト的な物が生き残っているのはなぜなのか。
……というような疑問に答える本は、絶対にどこかで読んだはずと思うけれども、
一切記憶に残っていない。忸怩たるものがある……
コメント