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◆ CRAFTING BEAUTY IN MODERN JAPAN展

大英博物館は、2007年7月から10月まで「近代日本工芸の美」展を開催した。
博物館自体は入場無料だが、このエキシビには5ポンド(≒1250円)の入場料が必要。
グレートコート内特別展示室は相当に狭いので、割高感はある。
そのせいもあってか、入場者数はそれほど多くはなかった。

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村上良子の紬「森に懸かる径」を見た時、涙が出そうになった。
衒うところのない、どこまでも穏やかな茶色と緑。その奥に沈んだ淡い金色。
見上げれば、光に照らされてその金が微かに輝く。展示ガラスの向こう、紬は柔らかく視線を受け止める。
しかし柔らかくありながら、そこには背筋が伸びるような凛としたものもあって。
人の手で形作られたものの硬さは消え、植物に似たしなやかさを帯びる。

ああ、久しぶりに物を見た。
ここしばらくわたしがやってきたのは「見る」というにはあまりに狭い、単なるチェックでしかなかった。
物に対した時「好き」「嫌い」を決めるのは最低限のこと。しかしそれが目玉と頭の範囲に留まる限り、
いくら数多く物を見ても、それが何になるものでもないよ。
美しいものはじっと見て、そして感じなければ。
心まで届く「物」の存在、そういうものに出会う為にわざわざ出かけていくんでしょう。

ただし「感じる」のは、意志によって出来ることではない。
意志によって出来るのは考えることまで。感じるためには――必要なのは感受性。
これは普段から意識して育てておかないと。現代日本で一般的な生活を送っている限り、
どんどん枯渇してしまうものだからね。
やはりココロには常に潤いを。なかなか難しいことだけれども。

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他に、北村武資「浅黄地透文羅裂地」にも目を奪われた。
複雑なパターンで織り上げた、まるでレースのような織物だった。
色がごく淡い水色、それも儚さをより感じさせる。
儚いものの例えとして、かげろうの羽とよく言われるけれど、まさにそれ。
触れれば崩れるような繊細さがあった。
これは誰にも纏えない織物ではないのか。その繊細さに見合うのは人間存在ではないのではないか、
という気がした。

江里佐代子の截金(キリカネ)は、以前テレビで見た時にとても感銘を受けたもの。
なにしろきれいだったですから。

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他に一人、やはり截金の分野で出品している人がいたが、デザイン自体劣りはしないものの、
金の細さにはばらつきがあった。江里佐代子の金は線が相当な精度で一定を保っているので驚く。
コンマ2ミリとか3ミリの世界じゃなかろうか。彼女は幾何学模様を主に採用しているから、
ここで精度が揺らぐとかなり目立つだろう。手わざでここまで出来るのはほんとに凄い。
ただ、テレビ画面上で初めて見た時の驚きはなかった。
(その後、江里さんの死去を知りました。まだ62歳……。これから更に豊穣な作品が
生み出されるはずだったのに、非常に残念です。ご冥福をお祈りします。)

黒田辰秋の「赤漆流稜文飾箱」もあったけれども、このデザインなら、川端康成展で見た
川端所蔵の小さな棗の方がはるかに上品に見える。あれはほんとに愛らしかった。
飾箱のこの大きさだと、これ見よがしな感じになる。

British Museum
Welcome to the British Museum - discover two million years of human history and culture.

四角のデザインで作るより、円形で活きるデザインだな、これは。

いい展示だった。久々に良いものを落ち着いて見た。

なお、大英博物館には日本展示室もあり、以前と比べると収蔵品が増えていた。
ここでは柿右衛門と今泉今右衛門の大鉢(?)中里太郎右衛門の大壷が目をひく。
特に柿右衛門は。磁器の白さと赤の鮮やかさ、桜文様で、余白の多いあっさりとしたデザインなのだが、
なんとも言えず愛らしい。赤・緑・青の三色で、桜の薄紅の柔らかさを響かせる。
これは「欲しい」と思える一品。……もちろん買えませんが。

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付記。東京都美術館で行われた「トプカプ宮殿の秘宝」展に行った。

……もう二度と東京で特別展に行こうなんて思わない。
一体なんなのだ、あの人数は!東京においては、ガラスケースに二重三重に取りついている
人々の頭の隙間から、ちらりと覗く展示物をかすめるように見ることが、
特別展を見に行くということなのか?

あんなんでは全く意味がないだろう。あの状態で物を見られるわけがない。
よほど辛抱強く時間のある人、あるいは常人離れした集中力の持ち主なら別、通常は無理。
行った証拠のチケットをゲットするためだけの行動になりそうだ。
それでもわたしが行った日は、混み具合を表す3段階のうち最低ラインだったらしい。
ということは他の日は一体どれだけ……。おしくらまんじゅう状態なのか?

わたしは今まで、「東京の他の部分が羨ましいとは思わないけど、ミュージアムが一杯あって、
お芝居がたくさん見られることだけは羨ましいなー」と思って来た。
実際、出光美術館とか、松涛美術館とか、落ち着いて見られるいい美術館もあるしね。
が、今回のこれを経験してしまうと、羨ましさは八割方消えてしまった。
これならば、地方巡回のいい奴にたまたま当たることに期待する方が、なんぼか実りある美術体験になる。

というわけで、トプカプ宮殿秘宝展は、単に宝石がぎらぎら輝いていたということしかない。
ああ、思い出すだけで脱力……。もう少し何とかならないものか。頼みますよ~、お偉さん方。
でもまあ、これは特別展だけの話で、通常の展示は楽しめると信じよう。
でないと「東京の美術館」にまったく意味を認められなくなりそうだ。

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