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◇ 宇月原晴明「信長 あるいは戴冠せるアンドロギュヌス」

共時性というのは面白いもので。本を読んでいると時々起こる。
文字が文字を呼んだ気がして、その魔法的感覚が愉しい。

この本を読む直前に読んでいたのが、澁澤龍彦「異端の肖像」。
これはタイトル通り、異端の人物についてのエッセイ集なんだけれども、
そのなかにヘリオガバルスが出て来る。
わたしは「信長 あるいは戴冠せるアンドロギュヌス」のタイトルが
「ヘリオガバルス あるいは戴冠せるアナーキスト」からとったものだということは知っていたから、
おやおや、と思いつつ澁澤のエッセイを読んだ。ヘリオガバルスのアウトラインをここで知った。

図書館から借りて「信長 あるいは~」を読んだのがその直後。
これだって、1ヶ月前くらいから借りようと思っていたところ、貸出中でなかなか出会えなかったという経緯がある。
いや、このはかったようなタイミング。(この場合「はかる」は図るなのか計るなのか)
本書を読むならヘリオガバルスが何者だか知っておいた方が絶対いいし、
読んだのが直前というのもなんだかすごい。本の神さまが気まぐれに順序良く並べてくれたような気がする。

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……というようなことは別に大したことじゃないんだけれどね。
本題に入ろう。

エピローグはのっけからタワゴトばっかり書いてあって、「おいおい大丈夫か」と思った。
タワゴトというよりウワゴトか。けっこう熱い。えー……ついてけるかなあ。と少々引き気味。
でもこの人の場合は確信犯だね。本来の意味でか、誤用の意味でかは知らないが。
ウワゴトを書きながら、しかしここまでの数ページでも手ごたえは感じられる。
おそらくこの書き手がアホみたいなものを書くことはないだろう、という予想は出来る。
(……この場合の「アホみたいな」というのは「読むに価しない」という意味で使っている)

ふんふん、なるほどねえ、こう持って行くか。と頷きながら読んでいた。
作りとしてはなかなかキッチュな……焦点をあてるパートが整理されてない印象がないこともない。
かなり場面転換が多いしね。わたしは一般的に場面転換は少ない方が良いと思っているので、
(少なければ少ないほどいいかというとそれも違うけれど)
2、3ページでまた切り替わって、というのを読んでいると、もうちょっと何とかせーよ。と思う。

信玄とか謙信とか今川義元とか、ほんのちょこちょこスポットを当てられて、あとは出番なし。
こういう一過性の登場はわたしは賛成しない。とってつけ感があるというか。
一過性なら、出来れば遠景で処理して欲しい気がする。

映像作品に例えて言えば、この時一度しか出てこないという人のすぐ横に
カメラを据えるべきではないと思うんだよ。
ほんの一瞬映すためだけに、ある役に役者をキャスティングして、
「ああ、役者の無駄遣い」と感じる――それに似ている。
貧乏性のせいかな?キャラクターは存分に動き回るために存在して欲しい。

これが気になったのは、わりあいささやかな役割の人がけっこうお喋りをしているわりには、
肝心の信長がほとんど出てこないからということもある。
信長こそ、かなりの部分を遠景で処理され(=地の文や他の登場人物の台詞で語られ)
ダイレクトにその姿を現さない。
小説の内容的に――何しろ戴冠せるアンドロギュヌスだから――その方がミステリアスで効果的、
というのはあるにしても。しかしそれなら、最初の部分で思いっきり素の信長を出したのは疑問だ。
出すのか出さんのかが中途半端。
あれがなければ、まさに「とらえどころのない信長」で良かった気がするが。
オール遠景で処理したら、上手いと思ったかもしれないな。

とまあ、ちょこっと気になったところはあったんだけど、読んでいる分には面白く読めた。
アルトーとかね。わたしはこういう風に無理矢理関係ないものを結びつけるのは好きではないが、
でもヘリオガバルスを響かせるからこそ、この信長に説得力が出て来る。
アルトーなかりせばおそらくこの本は誕生していないだろうし。
しかしヒトラーまで引っ張り出して来るのは多少疑問。なんか安っぽい気がして。
アルトー部分はもう少し、嫌味なくらいに薀蓄だけで構成されても良かった気がする。
彼は作品世界の中で一人高所に立っていても良かったのではないかな。
本作ではむしろ総見寺の立ち位置が少々高いわけだが。

うーん。語れば語るほど気になった部分にしか話がいかないな。面白く読んだんだけどね。
まあ、話自体はトンデモ……というより(作者本人ももちろん「つくりごと」として書いており、
誰をひっかけようともしていないので)やはりタワゴトだから。
でもフィクションはこういうタワゴトもその価値のうち。よう書いた、と思ったよ。
こういう自らの極私的な趣味を追及してくれる人が書くべきものだと思う、小説というものは。
高野史緒と同じ。がんばって欲しい気がする。
ただ今後数作読んだとして、いつもこの混沌ぶりだと多分飽きるだろうな。

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しかし今回、「ヘリオガバルス 戴冠せるアナーキスト」と並べてタイトルを書いてみて、
本家のタイトルの方が数段締まっていると感じた。
「戴冠せる」と「アナーキスト」は鋭く対立していて動かないが、
「戴冠せる」と「アンドロギュヌス」は単に無関係な物をくっつけてみたという外連のタイトルだ。
正直戴冠もしてないしねえ。目をひきつけるタイトルとしては上手いけど。

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