PR

◇ ロレンス・ダレル「アレキサンドリア四重奏」

「ジュスティーヌ」「バルタザール」「マウントオリーヴ」「クレア」の4部作。
(この4作が「アレキサンドリア四重奏」あるいは「アレキサンドリアカルテット」と
呼ばれるのだと確認するまで少々手間がかかった)

恩田陸が、とある場所で褒めていたので読んでみた。
いや、恩田陸自体はまだ読んだことないんですけどね。少々期待している作家で、
時が来たら読もうと思って楽しみにしている。が、読書リストの順番的に、最初の小説を読むまで
あと2年くらいはかかりそう。
(「『恐怖の報酬』日記: 酩酊混乱紀行」だけは、あと1ヶ月か2ヶ月で読む予定。)

ページが見つかりませんでした | 医師を育てる親向けweb本の雑誌-医学部・医学部予備校ガイド-

ついこの間読んだ、池澤夏樹の「小説の羅針盤」という本でも、アレキサンドリア四重奏は取り上げられていた。
彼によると、ある時期にある層に熱烈に愛好された作品だとのこと。
彼自身も好きな作品なので、たまに同好の士に会うと、これについて話をするのが楽しいと。

※※※※※※※※※※※※

4作、というのは分量的には決して小品と呼ぶべきものではないのだけれど、
この作品の佇まいは、その分量にも関わらずむしろ愛すべき小品といった趣。
ストーリー的にはほとんどめりはりはなく、数多い登場人物の心情が細かく描かれる。
主役はアレキサンドリアという都市そのもの(とよく言われる)。
が、個人的にはこれを読んでアレキサンドリアに行ってみたいとは思わなかったため、
ある時代の実際の場所というより、架空の理想郷のような気がしている。
うーん、理想郷?……でもある意味で理想郷か?作者が熱情をこめてアレキサンドリアを書いたのは間違いない。
そしてその描き方は、あの時代のイギリス人特有のものではないのか。
描き方があまりに主観的にすぎるので、架空のものという気がするのかもしれない。

文章の良さは、たしかに「なるほど」という感じ。文章にどっぷり浸かって味わうべき作品だ。
逆に言えば、どっぷり浸かる集中力に欠ける場合は、これは楽しめない。
実は4作目の「クレア」、時間がなかったせいで前半が外読み(=外出時に持って出て細切れに読む)になったので、
作品世界に入るのは難しかった。こういう本はちゃんと腰を据えて読まないと価値が半減。

万華鏡的。と思いながら字を追っていた。
目に鮮やかな文章。タペストリと違うのは、次々と新しい模様を作り出していくように見える点。
オブジェクト(←構成要素)は同じなのに、次の瞬間にはまるで別の模様を描いている。
それでも色合いは落ち着いているから、表現にかなり凝っているわりには、これでもか的なわざとらしさはあまり感じない。

ただし、構成という点では、わたしの期待とは違った。
「ジュスティーヌ」「バルタザール」で描かれているのはかなり緊密な……身近な人間関係の話。
(「バルタザール」の印象が薄いんだけど、「ジュスティーヌ」では、ダーリー(=視点人物)と
ジュスティーヌ、メリッサ、ネシムの四角関係が主だから)
が、「オウントオリーヴ」で突然話が政治がらみになって。びっくりすると同時に俄然興味をひかれた。
まあ政治がらみっていっても、基本は人間関係のあれこれで、政治・陰謀はあくまで背景ではあるが。
でも「ジュスティーヌ」でメインだった4人の四角関係が、マウントオリーヴ(=視点人物)から見ると、
まったく別の様相を帯びているのには、裏と表をひっくり返したような新鮮さを感じた。

わたしはそこで、「ああ、この4部作はバラの花のような構造なのね」と納得したのだ。
「ジュスティーヌ」で極小単位の人間関係を描き、
「バルタザール」でその範囲を少し広げ、
「マウントオリーヴ」で客観的な事物が入って来て、さらに外側から対象を見つめ、
「クレア」でそれら全てをまた視点を変えて、さらに外側から見る。
バラの花が内側の小さい花びらを外側の大きな花びらが覆っていくように
(しかも重なる所と重ならない所があるのが、タマネギ構造じゃなくてバラ構造たる所以)
重層的に描かれるのだと。
クレアの前3作での描かれ方は、登場人物たちとは距離をとっていて、まさに最後に外側から
まとめる視点人物に相応しいと(勝手に)納得していた。

でも「クレア」では、またダーリーが視点人物だった。
「クレア」は起承転結の結ではあるけれど、きっちりした完結というよりは、後日譚的に収束した感じ。
はかなく消えていく雰囲気はなかなかいいんだけれど。死んでしまった人物をまた
ページ上に載せるにあたっては、「声色」なんて斬新な手法を持って来たのも面白かったけれど。
が、わたしとしてはバラ構造をかなり期待していたこともあって、またダーリーに戻ったことが不満だった。
ダーリーだとほんとに「私とあなた」にしかならんのだよ。ずいぶん時間がたっている設定らしいし、
「ジュスティーヌ」の頃とはまた違うんだろうが、彼は甘ちゃんだから嫌だ。視野が狭い。
他の登場人物が別に視野が広いわけでもないけれど。ただ、マウントオリーヴあたりだと、
公人としての立場もあって、それこそ政治がらみの側面も出てきて話が広がるわけで。

同じ出来事を色々な視点から描いた作品はそれなりにあるらしいが、
(解説で挙げていたのは「藪の中」。近くは多分「冷静と情熱のあいだ」←未読。というか多分読まない。)
この作品は、群像劇を複数の視点から書いたのが面白いんだと思う。
「出来事」なら点。でも多数の人間関係そのものを書くとなると、面的、立体的になっていくわけだから、
その微妙な距離感の違いが楽しめる。その分書くのはひどく難しいとは思うが。
あんまりこういうのは出ないんじゃないかね。他にもあるなら読んでみたい。

ところで解説によれば、この4部作は、
熱狂的な恋愛―熱狂的な恋愛の裏面―政治的な陰謀―芸術家の成長
という主題を持っているそうです。「クレア」の主題は芸術家の成長だったか?
たしかに最後の最後は、とってつけたようにそういうことになるけれども。
芸術家の成長が過不足なく描かれている気がしない。
だからこれをまるまるクレア視点にしたら、芸術家の成長がちゃんと描けたと思うのに。

「クレア」に関しては少々納得出来ないが、愛される作品である理由はわかる気がする。
個人的にはエンタメ派だから、ストーリーで読ませるものの方が面白いと感じるけれど、
文章の連なりを楽しむ作品もあっていい。ただ「文章がその人にぴったりはまる」というのは
滅多にない幸運で、わたしとしてはこの作品は愛するまでには至らない。
厳密に言えばこれを美しい文章と言うのはわたしの感覚からはちょっと外れるし。
だが、文章自体で作品を挙げる場合があれば、当然選ばれるべき作品だと思う。
万華鏡的鮮やかさにおいて。

アレクサンドリア四重奏 1 ジュスティーヌ
ロレンス・ダレル 高松 雄一 河出書房新社 (2007/03/17)売り上げランキング: 71190

コメント