わりあい素直に面白かった。舞台が幕末で、とっつきやすかったのも良かったのだろう。
しかしこんな破天荒な話だとは思わなかったなあ。
石川淳、イメージでは文学の人なんだけど、「荒魂」とこの作品を読んだ限りにおいては
むしろエンタメ。昭和40年初出か。意外に近い作品なんだな。昭和初期くらいかと思っていた。
読みながら、思い出していたのが「幻魔大戦」。さすがにあそこまで派手ではないけど。
あるいは高橋克彦「竜の柩」とか……つまりは伝奇小説っぽい話。
けっこうシュールだし、かなりトンデモ風味。「いわゆる日本文学」的辛気臭さはないね。
伝奇系好きならいけるのではないか。ただ、宗教と時代物に全く興味がない人は読みにくいだろうが。
衒学的というわけではないけれど、知識がある人の方が楽しめる話。
わたしが気づかない面白みもたくさんありそうだ。
一例を上げれば、
「紋どころは丸に十の字にちがいない。」
「え。芋づるがそこまで伸びて来たか。油断がならねえ。」
などというやりとり、ここで、1.丸に十字は薩摩藩島津家の紋 2.薩摩といえばサツマイモ
ということを知っていれば、“芋づる”という表現ににやりと出来る。
おそらくこういうのがいくらでもあるんだろう。
歴史上の人物がクスグリ程度に話題に上って来るのがけっこう楽しい。
勝海舟とか、井伊直弼とか。知り合いの知り合いのような感じで噂に出て来る。
この距離感、上手いと思う。この程度ならそれほど考証をキチキチやる必要もないし。
何より、石川淳は文章のリズムがいい。つるつると進んでいく心太。
会話文は歌舞伎の台詞回しなんぞを髣髴とさせる。音読したらけっこう気持ちがいいだろうなあ。
地の文も歯切れ良く。なんということのない、ほんの数行を抜き出しても価値がある。プロの仕事だ。
登場人物に俳句の宗匠がいるので、俳句も作中に挿入されているが、これも本来は難しいことだと思う。
散文は散文、俳句は俳句。全く別の技術だから。作家としての技量に優れた人なんだろう。
もっとも「至福千年」、話としては最後が尻切れとんぼだなあ、と思うけれど。
前の「荒魂」もそうだったけど、どうも最後がばたばたと終わってしまう。
風呂敷を広げるのが得意な作家にはありがちなパターンだ。
こういうタイプの作家には、総じてもう少し着地点をきれいに決めて欲しいと思うのだが……
もしかしてそれは、彼らの資質とは相容れない要求なのかもしれない。
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