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◇ 中上健次「異族」

中上健次の遺作。これを未完のまま逝くのは無念だったろう。

未完の状態で791ページの単行本になっている。これで原稿用紙おおよそ1500枚らしい。
残り150枚だったとか。単純に長さで計っても仕方がないんだけど、あとちょっとだったのになあ。
本人ももちろん残念だろうし、これを読んだわたしとしても、ここからあと80ページで
どんな結末になったものか是非知りたかったと思うのだが。

異族―中上健次選集〈2〉
中上 健次
小学館
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中上健次の永久のテーマ、差別された者たちの話。
――この系統のテーマは、戦争物と並んで、個人的には出来ればあまり見たくない。
見せられても、どうせわたしには何にも出来ないから。事なかれと眼を逸らすしかない。
最初から読み手として腰がひけている。読んでいても、いつでも逃げられるように構えている。

605ページの完結編に入るまで、物事は虚しく書き綴られていく。
描かれた全てに、ほとんど意味がない。登場人物は皆、まるで影絵のようなペラペラな存在だ。
被差別部落出身のタツヤと夏羽、在日韓国人のシム、アイヌのウタリ、
いい加減なシナリオ・ライター、右翼の大物である槙野原。
空手道場、右翼団体、公安、暴走族、――記号でしかないような個人、団体。

彼らが何を言おうと、その言葉はうそ寒い。ペラペラな存在は実体のある言葉を吐けない。
タツヤとシム、ウタリは胸に同じ形の青アザがあり、それを理由として血をすすりあって
義兄弟にまでなるのに、そんな大仰な真似をさせておきながら作者は、
だから何だって言うんだ、それに何の意味があるんだ、と突き放してもいる。

中上健次は虚しいものを連ねて何かを形作ろうとして、これほどのページ数を費やしたのかもしれない。
ほとんど透明な青いセロファンが青という色を持つのは、何枚も何十枚も自身を重ねてから。
それと似て、虚による実(と言っても、せいぜい輪郭線程度の)を描き出すのには、
大量の虚を必要としたのか。

人を殺し、てんのう陛下万歳と言い、お互いの存在を牽制しあい、惹き付けあう。
シナリオ・ライターは訳のわからぬことを嘯いては殴られ、槙野原はいつまでも腹を見せず、
4人目の青アザである赤ん坊が自堕落な少女から産まれる。
タツヤは木偶のまま力だけが育ち、シムは恋人を殺し路地へ逃げ、夏羽は自殺する。
起こった出来事は、だが、みな夢の中のように頼りない。

 
しかし完結編に入ると、今まで積み重ねられて来た虚がざくりと音をたてて実へと転回する。
今までの浮遊感は消え、不意に実体化した彼らは荒っぽく騒ぎ始める。
ようやく血が通い始めたというように。あるいは、今ようやく黄泉から戻ったというように。
舞台はそのだいぶ前からオキナワに移動している。右翼や暴走族を呼び寄せたことで
地元との衝突が生まれ、タツヤを頭とする彼らは石垣島で騒ぎを起こす。

ここから狂騒の祭りが始まり収束へ向かうかと思いきや、主要登場人物はオキナワを去ってダバオへ。
この頃には青アザの人数は7人になっており、8人目が登場。
つまりは青アザの(作中的)意味は、そしてダバオでこれから、というところで「絶」。

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タイトルである「異族」は差別されてきた者たちのこと。
中上健次はまるで見本市のごとくそんな立場の人々を登場させる。
被差別部落出身者。在日韓国人。アイヌ。父親のわからぬ児。沖縄出身者。
(黒人との)混血。台湾の高砂族。彼らが「青アザ」。青アザによって結ばれている。

少々欲張りすぎたか、と思う。ここまで勢揃いさせては、むしろ鋭さが鈍るのではないか。
6人目のマウイは(キャラクターは好きだけれども)存在としては相当軽くなりつつあるし、
7人目にいたってはほとんどいる必要を感じない。
無理に「8人」揃えずとも良かったのでは。

あと150枚でこの話、収束したとは思えないな。
中上健次の話は、起承転結とかストーリーの部分にそれほど価値はないけど、
それにしてもあのダバオの状態からどうやって書く?「鳳仙花」辺りと違って、
淡々と書いて終わりとするにはあまりに大風呂敷を広げた話だ。彼はどこまで行くつもりだったのか。

あの段階で、異族たちにはほとんど何も方向性が示されていないし。
もちろんテーマは根が深く、表面的な「方向」ならば、わざわざ中上がこの作品を書く意味は
なかったろう。かといって超A級決め技を彼が持っているとは思えない。
(そういうことが出来るほど器用な人じゃない気がするんだよね)
つまり結局は訥々と終わりを迎えるのだろうと想像は出来るけれど、それでもその訥々の中に、
中上健次ならば何かを漂わせたかもしれない。それを読みたかった。

実に「感」想。
何も言ってないに等しいが、感じたことは感じたので。

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疑問がいくつか。メモ代わりに。

タイトルになっているし、本来「異族」という言葉、多用されてもおかしくない言葉のはずなのだが、
本文中、何度かしか出てこない。この頻度が不思議だ。

なぜシナリオ・ライターはいつまで経っても地の文で「シナリオ・ライター」と表記されるのか。
ミドリカワという名前も与えられているのに。そもそもこの男はキャラクター自体も、
その存在理由もわかるようでわからん。便利に使える狂言回しであるのは間違いないが。

サセコは何なのだ。
沖縄へ来るのまではかろうじてわかる。でも、なぜダバオまで。
Bボーのお母さんってだけじゃないの?他にどんな理由があるのだ。

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