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◇ 奥泉光「『吾輩は猫である』殺人事件」

前回に引き続き……。面白くないわけでは決してないのだが、やはりパスティーシュというのが
わたしにとってはどうにも乗り越えられない壁。

パスティーシュの意義って何?愛情の吐露なのか。物真似芸なのか。
特に今回は、「夢十夜」がほとんど丸々引用されている箇所があったのが非常にひっかかっている。
ありかなあ、ああいうの。なんでああいうことが出来るんだろう。

本歌の設定を巧みに活かして、ミステリ風味冒険長編に仕立てていること自体は
実に達者だと思うんだけど、それにしたって夢十夜、いくら短編とはいえ、あの引用はやりすぎ。
たとえばね、夢十夜を全く読んだことのない読者がこの作品を読んだ場合、
あの夢のイメージ展開は、奥泉光のテガラになるわけですよね。それっておかしくないのか。
わたしはおかしいと思うんだけどなあ。

全作品を読んだわけではないが、漱石の中で、一番好きなのは「倫敦塔」、次に「夢十夜」。
なので、余計気になる。作品内で、引用ということがわかるわけではないですから。
早い話、この作品の中には、わたしが気づかない漱石作品からの引用が他にも沢山あるんだと思う。
それを奥泉光独自の文章だと思って読んでいるなら……
そういうのって罪深きワザってことにならない?それとも無知が罪なの?

パスティーシュ・パロディは一切禁止にするべきだ!
……というようなことを言いたいわけではないんだけど、この釈然としない思いをどうしてくれよう。

しかし最後はずいぶんとバタバタ終わりましたね。
それもテンポが良くて、面白い部分があったけれど、あれだけ長くじっくり書いて来たにしては竜頭蛇尾の感。

面白いんだが。イロイロと言いたいこともある、という本。
(最近、「面白かった!」ときっぱり言い切れる本に当たってないのが悲しいなあ)

『吾輩は猫である』殺人事件
奥泉 光
新潮社
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