「エドウィン・マルハウス(以下略)」から始まって、
「マーティン・ドレスラーの夢」
「バーナム博物館」
「イン・ザ・ペニー・アーケード」
「三つの小さな王国」
と、一応図書館にある本を読み終わり、ミルハウザーは以上で読了~。ふへー。
大した感想もないけど、読了記念に少々。
この五作、自分でも面白いほど好き嫌いが分かれた。
「エド」と「バーナム」は駄目。それ以外はわりと気に入った。では前者と後者ではどこに違いがあるのか。
……これがよくわからない。まあ、「エド」が嫌いなのは話の後味が悪いということと、
わたしが「少年時代のアメリカ」に共感を抱けないからなんだろうと思う。
夏の夕暮れのノスタルジー。それ自体は決して嫌いじゃないはずなんだが。
そもそもアメリカものって、何だか妙に湿度が低い感じがしませんか。
自分では、そこが気に入らないんじゃないかと思っている。
カラカラに乾いて、どうも喉越しがザラザラ……などと調子に乗って言いたくなって、
でも、実はそんなことが言えるほどアメリカの作品を読んでいるわけではないのだが。
多分わたしが読んだ「アメリカ文学」なんて片手で足りるくらいだろう。
「白鯨」「老人と海」「華麗なるギャツビー」「ライ麦畑で捕まえて」……くらいかな。
と、いうようなことを考えつつ、ミルハウザーの作品。
2冊目の「マーティン・ドレスラーの夢」。全く期待していなかったのにも関わらず、これは面白かった。
取り上げた時代が好きだったからか?それとも幻想風味が気に入ったのか?と自問自答。
3冊目「バーナム博物館」。話自体は気に入ってもおかしくない、幻想風味のものだと思うのに。
何故か嫌い。全体的に描写のしつこさが嫌になる。
4冊目「イン・ザ・ペニー・アーケード」。短編全部が好きだったわけじゃないけど、
少なくとも「アウグスト・エッシェンブルク」と「東方の国」は好きだった。
5冊目の「三つの小さな王国」、
これは3つの短編、どれも好きな部類。
「フランクリン・ペインの小さな王国」は「アウグスト・エッシェンブルク」と内容が近い。
「王妃、小人、土牢」は民話を模した短編、こういう雰囲気は好きだ。
「展覧会のカタログ――エドマンド・ムーラッシュ(1810-46)の芸術」
これは、かなり人工的。ものは違うけど、「エド」と仕掛けは通じる。
「エド」が“作られたもの”の舞台裏を見せているのに対して、
これは実際に「作られたもの」。エドの生涯も、こういう風にも書けるという可能性がある。
……好き嫌いがはっきり分かれた理由が、自分で思いつかないのは何だか口惜しい気がするのだけど、
やはり湿度……ではなかろうか。湿度というより、余剰物……かな。ああ、言葉が決められない。
隙間と隙間に溜まる、澱のようなもの。それ自体は独立して美しいともいえないが、
カラカラのドライな作品にはない「味」というものに変わりうるものではないだろうか。
それは余裕であり、精神の寄り道であり、迷いであり、心にまとった薄布である。
好きな作品にはそれを感じ、嫌いな作品は剥きだしの味気なさしか感じない……ということだと思う。
(かなり苦しいな、我ながら。)
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余談だが、わたしは佐藤亜紀のブログを時々横目でチェックしている。
本日見に行ったら、話題がミルハウザー。……大したことじゃないんだけど、
こういう共時性ってちょっと驚きますね。
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