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芭蕉布。(NHK「美の壷」より)

いやー。出来ないよ、これは。

芭蕉布は芭蕉の繊維で作る。芭蕉と言うのはバナナに似た2メートル弱の植物で、
畑で栽培している。それを根元から切り倒して幹から繊維を採る。
(葉っぱの部分が繊維になるのかと考える人もいるかもしれないが、使うのは幹。)
幹の皮が薄く剥がれるようになっており、外・中間・中心に分けて剥がしていく。
中心の部位で作る織物が最高級品らしい。

それから色々過程があって……(テレビであまり映さなかったのでよくわからん)
苧績みをする。糸に作る作業。ここがねー、「出来ない!」と叫んだ部分だった。
幹を切り倒すわけだから、繊維自体はある一定の長さで切られる。120センチくらいらしい。
当然折るためにはそれを長い糸にする必要があるのだが、その方法が……「繋ぐ」なのだ。

反物なんて、ものすごく糸の量がいるものでしょう。それをいちいち繋いで長くしていくなんて!
しかも繋ぐのも、小さく小さく、ほとんど結び目が見えないくらいでないと駄目らしい。
「何度繋げればいいんだろ」なんて考え始めたら、前途のあまりの遠さに手が動かなくなってしまう。
効率なんて考え始めたら、もうダメだ。「もっと簡単に一反を作ることが出来るんじゃないのか?」
そんなことを思えば、もう芭蕉布を作る根気なんてなくなる。

昔の人は、それを考えずにやれたのだ。
昨今、伝統技能がやせ細り、後継者不足で困っているというのも……
人々が贅沢になり、知恵がついて、徒労感をより強く感じるようになったからだろう。
人間、「その価値がある」と思ったものにしか心血を注げないようになっている。
芭蕉布そのものにはもちろん(今となっては余計)価値があるけれど、
「一枚の反物を作る」というだけのことでいえば、手間が掛かりすぎる。
そもそも反物なんて作る必要がないとも言える。そのへんに安価な洋服がいくらでも売っているんだから。

テレビに映っていた人たちも、みんな「おばぁ」だった。
若い人は……いるのかな。もしいなくなってしまっているのであれば、芭蕉布の命も風前の灯だ。
消えていくしかないのだろうか、伝統の手仕事は。

※※※※※※※※※※※※

わたしは以前沖縄にちょっと凝っていた時期があって、沖縄万歳病の保菌者である。
(普段表面には現れないけれど、条件が揃うと顕在化する)
沖縄に行ったのは凝っていた頃、一度。その時の記憶はなかなか強烈で。外国に行った時より、
ある意味ではショックが大きかった。ショック……感銘かな。
何に感銘を受けたというと、沖縄の光に。

沖縄の光は強烈だ。それはもうものすごく。光に重みがあり、のしかかってくるよう。
密度の濃い光、北国育ちの身には、未知のもの。

その中で見る(真っ赤なペンキ塗りたての)首里城の姿は、「こうでなければ」と思わせる。
この光の中だからこその赤。それまで「何でこんなに派手な色を」と思っていたのが、
見た途端に納得させられてしまった。この赤でないと駄目なんだ。

同じことを、紅型にも感じた。
沖縄の光の下だからこその、あの鮮やかな色彩。赤、黄色。深い青。
ふわふわと頼りない、東日本の(西日本はよく知らん)光の下では本来の紅型の姿を見ることは出来ない、としみじみ。

振袖なんかで、紅型風のものが全国的に出てますけどね、ありゃ駄目ですね。
まあ駄目だといったら、本州在住の紅型好きに気の毒だけど……でも、紛い物。
作り的に紛い物、という場合を除いても紛い物。やはり作られた土地に根ざすものなんだ。
織物に限らず、自然と、自然によって人が生み出す全ては。

こんな本を持っている。

琉球布紀行
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写真もあるし、著者の布に対する思いいれはあるし、「沖縄の布」に興味を持ったら
読むのに良い本ではないかと思う。

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