B級超大作。
そもそもB級とは何ぞや、という話になる。個人的な定義としては、
「クダラなくて、なおかつ作り手の趣味性が力いっぱい前面に出ているもの」
そうなると、超大作でB級、というのはなかなか並列しがたい存在である。
クダラナイものに天文学的な大金を払うほど粋狂な人って、なかなかいませんから。
だが、今回のこれは……やってしまいましたねー。やりますか、ここまで。
これはー、えーと、誰のテガラなんだ?製作のブラッカイマーか?監督のヴァーピンスキーか?
ジョニー・デップがエラいのは殊更言うまでもないけど、それでも、話がここまでいってしまうと、
デップの存在さえかすむ。
前回の作品は、完全に「皆が喜ぶ映画」だったと思う。対象年齢の広さ。やはりディズニー。
しかし今作は、1を完全に踏襲していると見せかけて、実はいつの間にかB級になっていますからね。
このゴマカシは誰が企んだのだ。それとも巧まずして転がってしまった結果なのか。
だってさ。どー考えたって、やりすぎだろう。
デップの登場シーンからして、「やはり来たか」と思わせる。全編こんな感じで――
愚直なほど「お約束」をこれでもかと見せてくれる。その度合いが、予想範囲内なら
単に退屈を感じるだけなのだが、クダラナイ方向に突き抜けすぎている。
普通やりませんよ、ここまでは。
原住民に捕まって酋長にされるなんて実にtypical。半世紀前の冒険物の王道(かな?)。
炙り肉にされそうになるのも王道。しかしそこからがなあ。
キャプテン・スパロウのみたらし団子状態は一体なんなんですかねー。
いやそれにしても、あそこの果物の使い方は素晴らしい!
その他の海賊たちが檻から脱出する場面もアホらしかったなあ。
ブランコ状態で蔓を掴もうとするところなんか、脚本にする段階で「いや、これはいくら何でも」と
却下になりそうなもんだ。檻がひたすら転がるところも、あの状態で転がって、
中の人間が無事でいることなんてまず有り得ないことなんだから、
実際そういう脚本にするのには、理性を二段階くらい飛び越えなくてはならない。
水車だってそうでしょう。無理無理無理。あんなこと、絶対出来ませんから。
しかしまああそこまで何食わぬ顔で大袈裟にやられてしまうと、その有り得なさも
全く瑕にはならないのだ。むしろ、手を叩いて喜んでしまう。実際わたしは、映画の途中、
船を巨大タコ足が抱え込むシーンで、カバンを叩いて笑ってしまった。
カバンを叩いたのは「こんちくしょー」という思いが少なからずこめられている。
「こんちくしょー、なんてアホウなものを作りやがったんだ!」
……そういうわけで、この作品は、クダラなさを楽しめるタイプの人じゃないと楽しめないでしょうな。
実際、同じ上映の回を見て同じエレベーターに乗り合わせたカップルが、
「そもそもこの映画を見たがったのはどっちか」ということで口論(というよりじゃれ合い)になっていた。
うん。映画に何を求めるかは人それぞれだけど、「ちゃんとした映画」を見たい人には向かないよ。
この映画はB級好きが見るべきだ。それ以外は鑑賞禁止。
とはいえ、実は厳密には、この映画は「作り手の趣味性が存分に出た映画」ではないと思う。
この作品は「作り手のサービス精神が過剰に表れた」ものですね。そのサービス精神こそ、
これをB級たらしめている。趣味性の部分が、表現された内容そのものではなく、
「いかに観客を喜ばせるか」に強烈にシフトしている。となると、まあテガラは監督かな。
周りがどんなだろうと、このサービス精神は監督によって初めて体現されるものだ。
原住民は原住民のお約束。
海の怪物は海の怪物のお約束。
キャプテン・スパロウのクネクネは相変わらず健在で、(多少物足りなかったが)
タコ人間は……タコ人間にお約束なんてあるのか?適度に不気味。
悪役は悪役らしくて、海賊はやはりラムが好き、と。
ここまで、くだらないまでにtypicalを極めてしまうと……どーすんだよ、三作目。
このままB級でいくのか?(それならばさらにくだらなさをパワーアップさせねばなるまい)
元の「みんなの映画」に戻すのか?(まあ、これが一番無難かな)
それともまた密かに次元跳躍を行うのか?(全く新しい方向に……出来るかね?)
次回作が来年5月っていうのも遠い話だ。制作上は時間差がないので、テンションは
同じだろうが……しかしそれが吉と出るか凶と出るかはわからんな。
2作目とまるっきり同じことをしてもインパクトは弱かろうし……
今回最後の最後に登場した、アイツの活躍にかかっているような気がする。三作目の浮沈は。
ふふふふ。楽しみにしておきましょう。
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