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◆ 美とは。

ああ、レオン!その通りだよ!

と、思わず叫んでしまう一文にぶち当たった。
「理性の時代の建築 イギリス・イタリア編」という本のページの上で。

   美とは……何かを加えたり、取り去ったり、移動させたりすれば必ずや
   悪しきものになるほどの釣り合いと結びつきをもってひとつにまとめられた……
   あらゆる部分の間の調和である。
             (レオン・バッティスタ・アルベルティ「建築十書」)

わたしの言いたかったことは、これかもしれない。何で言えなかったんだろうなー。
そうなんだよ、美とは調和なんだよ。髪の毛一筋分も動かせない、理想の形なんだよ!

しかしアルベルティは初期ルネサンスあたりの建築家(多才で、色々やった人らしいが)で、
現代が指し示す美の方向とはかなり違っているような気がする。
現代は多様性・個別性推奨の方向にありますから。(多分。)理想型を追及するのは、
きっと時代遅れなんだろうな。なんせ「芸術は爆発だ!」と言った人もいることだし。
爆発は間違っても調和の理想型ではない。むしろ対極ですからね。
いや、でもわたしはやはり調和を追い求めたいぞ。

ところで、一過性のもの、再現不可能なものは理想には成り得ない気がする。人間の意志が入る余地がない。
(なので、偶発性に左右されるアクション・ペインティングの類はキライだ)
と言っても、人間の手が入らない、自然物に美がないという意味ではないが。
ただ理想はどうだろう。理想はやはり、人間が介在するものではないか?
自然には「完璧」はあるが「理想」はない。……いかん、言葉遊びに堕している。

レオンが言った「美とは」に対して、わたしが長年考えて来た「美とは何か」の答えは、
今のところ「心に光を与えてくれるもの」である。実に主観的ですね。
「光」は、「ああ」だと思う。……それを見たときに洩れる「ああ」という微かな吐息。
それは心を動かした証。実際は声にならないかもしれないけれど、動かされた心は振動する。
その振動が何か、より良きものの種になるんじゃないかと、……そう思っている。

美は調和であり、理想であり、そして理想には神性がある。
絵の具の色使い、彫刻の彫られた線、そこに隠れた美神を見つけるために。
目を皿のようにして対象を見る。何も見逃さぬよう。隠れているものを逃さぬよう。
息をつめて耳を澄ませて。どこか遠くから聞こえて来る、絵や彫刻が発する言葉を聞く。
皮膚で感じ取れるものは皮膚で。対象と自分の間にぴんと糸を張る。
目と耳と皮膚で神を捜す。

……と、上手くいけばこんな気合でエキシビを見ているのだが、
よほど体力がある時じゃないと、なかなか。睡眠不足だと、てきめんにエネルギー切れになる。

まあ何しろ神さまを相手にしようと、大いに気負っていくわけだから。
美術鑑賞に必要なのはまず気力体力だ。前日早寝推奨。
でないと、対象に正面から向かっていくのはなかなか厳しい気がする。
せっかくだから、がっぷり四つに組んで戦いたい。そういう見方を、わたしはしたい。

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