これは「描写に優れた」本。
たとえ他人の評価が高かろうとも、自分の好みに合わなければしょーがない。
ちょっと前に、初開高作品として「輝ける闇」「新しい天体」を読んだが、今ひとつだった。
わたしが書物に望むことは、優しく・穏やかな・美しく・夢のある作品世界なので、
そもそも戦争の話なんかは嫌いだ。どろどろの愛憎劇とか、切羽詰った感情の交錯も。
フィクションに現実の影を見たくない。ただでさえ、現実とは酷いものじゃないですか。
改めて文字で追体験する必要があるのか。
戦争ものという内容以外ならどうか?と考えて、読んでみたのが全集の20巻。
「眼ある花々」「生物としての静物」その他。「輝ける闇」は小説だそうだが、
(しかし読む分にはルポに近い)これはエッセイ。皆、短いもの。
こちらは、特に拒否反応は出ませんでしたね。描写の上手さを読めたので良かった。
「輝ける闇」では、その上手さが裏目に出て、戦場の臭いが漂って来そうな文章で、
正直に言って辟易した。その点「眼ある花々」は内容が穏やか。有難い。
何ということはない部分なのだが、アラスカの鮭についての短文で、ガンとやられた。
>暗くて深くてきびしい海から彼らは甘くて透明でキラキラ輝く河へと入ってくると、
>ひたすら上流へ上流へと進む。上流の河床には昨年産卵後に死んだサケの死骸が
>無数に散らばっている。なかには草むらへ跳躍して息絶えた、動物のかと思うほど
>巨大なキングの頭骨が枯れるままにころがっていたりする。(眼ある花々)
この後にも気になる文が続くのだが、ここの「甘くて」がツボに嵌った。
そうか。サケにとって、故郷の河の水は甘いのか。茫洋たる大海の、水のなかから
嗅ぎ分けられるほどに甘いのか。その匂いを追って、どこまでも泳いでくるほどに。
今まで見た中で最も輝く河、上高地の梓川の水が思い浮かぶ。
自分が暗い水の中で泳ぎ、そこに梓川の青い水を見つけたような実感があった。
鼻に来る甘さ。一瞬、サケになったと言っていいかもしれない。
……こういうのが、文章の力だよなあ。
が、反面、表現が踊りすぎているかと思う部分が気になった。
自分が楽しみすぎているように感じる。……が、こういう風に書いている時、本人は愉しいだろうなあ。
まあ好みの部分ですけれどね、このあたりは。好みを言えば、時々混じる油っぽい表現も
好きではない。男くさい。おっさんくさい。
とは言え、事実おっさんなんだから、「おっさんくさくてどこが悪い!」だろうなあ。
全集のうち2冊を読んで、読後感の良いまま終わった方がお互いシアワセではないかと思いつつ、
あと1,2冊読む予定でいる。趣味の狭さを何とかするための修行中の身ですのでね。
努力。
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